わたしは、三島由紀夫の代表作といわれる『金閣寺』や『潮騒』、『仮面の告白』よりも、
本作のようなエッセイが好きなようだ。
かと言って、多く読んでいるわけでもなく、その生涯について知ろうとしているわけでもなく、
どちらかといえば軽く読めるものばかり読んでうんうんとうなづいている、
都合のいい読者なのである。
本作には、「行動学入門」、「おわりの美学」、「革命哲学としての陽明学」がおさめられている。
特に「行動学入門」は若い男性へ向けて、
「おわりの美学」は若い女性へ向けて書かれているため、
とりわけ読みやすく感じた。
行動、思索、肉体、死、美、男と女、倒錯した愛。
本当は、三島作品にはあまり深く立ち入りたくない。
本質にひきづられるのが怖いからだ。
こういう軽い形で自分の考えを語って、人は案外本音に達していることが多いものだ。
注意深い読者は、これらの中に、(私の小説よりもより直接に)、
私自身の体験や吐息や胸中の悶々の情や告白や予言をきいてくれるであろう。
いつか又時を経て、「あいつはあんな形でこういうことを言いたかったんだな」という、
暗喩をさとってくれるかもしれない。
~あとがきより
実際、本作には三島由紀夫の体験や思いなどがたっぷりとこめられていたように思う。
それなのに真剣に上記のような理由から真剣に読もうとせず、
「おわりの美学」ばかり読んでいた。
ただ単に逃げの読書をしただけである。
言い訳のようだけれど、それでも十分おもしろい本だったが。
「おわりの美学」は、以前読んだ『三島由紀夫レター教室』の雰囲気とよく似ている。
シニカルで、馬鹿にしたようで、的確。
結婚のおわり、童貞のおわり、OLのおわり、美貌のおわり、旅行のおわり、
嫉妬のおわり、果ては世界のおわりまで、実にさまざまなものごとのおわり論。
しかしルール違反だろうと何だろうと、芝居は必ずおわり、幕は必ずしまり、
お客は必ずかえってしまう、という点で、
人生のおわりと芝居のおわりはそんなにちがわないのかもしれません。
(芝居のおわり)
私は「私の鼻は大きくて魅力的でしょ」などと頑張っている女の子より、
美の規格を外れた鼻に絶望して、人生を呪っている女の子のほうを愛します。
それが「生きている」ということだからです。
だって、死ねばガイコツに鼻の大小高低などは問題ではなく、
ガイコツはみんな同じで、
それこそ個性のおわりですからね。(個性のおわり)
これらのおわりを経て、最終的に向かうのはやはり死である。
「命のおわり」などというものこそ書かれていないけれど、
どのベクトルも確実に死に向かっているような気がしてしまう。
(この本のあとがきが自決1ヶ月前に書かれたというのもまた興味深い)
人生は音楽ではない。
最上のクライマックスで、巧い具合に終わってくれないのが人生というものである。
人間、誰でも音楽のおわりのように美しく花々しく死にたいものです。(旅行のおわり)
つまり美女は一生に二度死ななければならない。美貌の死と肉体の死と。
一度目の死のほうが恐ろしい本当の死で、彼女だけがその日付を知っているのです。
(美貌のおわり)
死というおわりは三島由紀夫にとって主題のようなもので、
なおかつ最高の美の形態であったのかもしれない。
それにしても、どのおわりもあまりに的を得ていておかしくなってしまうので、
電車で読むには注意が必要です。
2006/06/24 20:09
>ミワ
トントンさん、こんばんは☆
わたしも、三島由紀夫に限らず、
名作を読もう計画を立てつつあまり実行できていないのですよ^^;
この本はかなり読みやすいからおすすめかも。
「おわりの美学」は確か週刊誌のようなものに連載されていたようだから、
かなり砕けた感じになっていました。
2006/06/23 07:08
>トントン
誰がUPされたのかなと思ったらミワさんでした^^
今年は名作を読むという目標があるので三島由紀夫作品もチャレンジしてみたいんですが、
なんだか難しそうで・・・
エッセイなら入りやすいかな?
「おわりの美学」の引用をいくつか読んだだけですごく興味がわきました。
私もいつか挑戦してみたいです。